幻のF1マシン RA270FR-X

Toei HONDA RA270FR-X(FORMULA ROBOT−X)

HISTORY

1964年 ホンダF1参戦と同時に社内の別プロジェクトで開発されたRA270FR-X(以下FR-X)は当時としてはかなり画期的なものであった。しかしあまりにも奇抜すぎた為ついにXナンバーがはずされることはなく幻の珍機となった。

1965年 ロボット開発を主とし奇抜な発想を次々と形にしていく本田技研工業(株)先端機器部門第3開発部はF1研究開発を開始、同社内F1開発プロジェクトチームと対立し始める。

一説では第3開発部が研究開発したものを無断でF1開発プロジェクトチームが採用していったことによるいざこざが原因ともいわれている。が定かではない。


第3開発部は独自で東映と組みToeiHONDAを設立、デサイナーに当時の人気漫画家、石森章太郎氏を起用した。

FR-Xは1495cc、12000回転、220馬力のV12エンジンを便器型シャシーにめいっぱい詰め込んだF1初の3輪駆動。車高は高めで高重心に思われるが動力系は主にフレームの下半分に位置し上半分は電装、通信系となっている為低重心を実現している。
FR-X最大の特徴は無人F1マシンであること、ドライバーは遠隔操作で操作する。実験用の搭乗タイプもつくられたそうだが被験者ドライバーがエンジン音と閉塞感から精神に異常をきたした為お蔵入りとなったそうだ。遠隔操作はこれっきりだが、通信装置は現在のF1ではなくてはならないものになる。ちなみにRA273とほぼ同じホンダサウンドである。
ボディには万能アームというマニュピレーターが装備されている。特に意味はないが第3開発部はロボット研究を主としている為、当然の装備といえるだろう。

1976年のテスト走行 富士スピードウェイにて

1971年 株式会社リスカをスポンサーに迎え当時発売予定だったスナック菓子「ハートチップル」をかたどったマークをあしらいいよいよデビューを待つばかりとなったが妥協をゆるさない第3開発部は76年まで研究、改良を重ねていった。73年にはFR-Xのデザインを気に入った東映が子供向け番組がんばれロボコンを制作、子供番組としては異例のロングランとなる。番組内では二足歩行ロボットとなったが高速移動モードとしてFR-Xの面影も残している。

 がんばれロボコン (C)石森プロ・東映

1976年 グランプリ最終戦、富士スピードウェイでペースカーとしてデビューする予定だったが(当然のことながらシングルシートが規格であり、無人は認められなかった)大雨の為通信機器がトラブル、おまけにティレルの6輪車に話題をうばわれ、とうとう世間の目にふれることはなかった・・。これを境にToeiHONDA、第3開発部はF1から撤退する。

しかしFR-はさらに進化し1986年にはサーキット走行機構を排除し、二足歩行ロボットE0(Experimental Model 0)へと進化する。E1、E2、E3と改良を繰り返しE0開発から7年、E6の完成で二足歩行ロボットはほぼ完璧に実現された。

  二足歩行ロボット 左からE4、E5、E6

1998年 FR-ですでに完成されていたマニュピレーターを装備した上半身をつけたP1(Prototype Model 1)が完成。いよいよ人間型ロボットに近づく。

P1では外置きだったコンピューターを内蔵しFR-Xで開発された通信機構を採用、完全自立型ロボットとして公式発表。軽量化を実演したP3をもってプロトタイプ開発は終了。

2000年には「ASIMO」として公式発表される。

FR-Xなくして現在のヒューマノイドロボット技術の発展はなかったといえよう。









ヒューマノイドロボット「ASIMO

FR-Xは日の目を見ることはなかったが表舞台ではRA273が脚光をあびていた。
FR-Xの意思を受け継ぐかのようにカラーリングはFR-Xと同じ赤と白のツートンカラーだった。RA273画像


 RA270FR-X 再現ミニチュア画像
当時の資料もあまり残っておらず再現は困難を極めましたがなんとか完成しました。



複雑な形状のエキゾーストパイプは当時の手曲げならではです。現在のコンピューターではできない良さがあります。RA271、RA272、RA300等より複雑かも?

みっちり詰まった機械。メンテナンスは大変そう、ピット泣かせだったと聞いています。
アンダーにはリップスポイラーを装備、吸気と冷却を担います。


 

                     NEXT


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送